5/7出題の課題の講評
問題
学生証番号に応じて,以下の事項を検索エンジンを使って調べて,関連するペー
ジのURL2つ以上と,自分の言葉(コピー アンド ペーストではなく)で100文字以上で説
明を書き, report0507@tanaka.ecc.u-tokyo.ac.jp まで
メールを出しなさい.教育用計算機システムを使って出すこと,プロバイダ経
由からの提出は認めない.教育用計算機システムを使って出す限り,メールク
ライアントは mew 以外のシステムを使っても良い.
- SARSは何の略称か,SARSの最初の患者が確認されたのは,いつ,どこでか?(学生証番号の下1桁が0,5)
- アゴヒゲアザラシ「タマちゃん」は現在までのどの川に出現したか(学生証番号の下1桁が1,6)
- UNIXは1969年に最初のバージョンがベル研で作られたが,その際の開発者として知られている人は?(学生証番号の下1桁が2,7)
- WWWが流行するきっかけとなった,WWWブラウザ「Mosaic」の開発メンバーで,「Netscape Communication」社を設立した人はどんな人か?(学生証番号の下1桁が3,8)
- 多人数宛ての迷惑メールをspamメールと呼ぶようになったのはなぜか.
また,SPAMの缶詰を製造しているHormel Foods 社はspamメールという名称に
関してどのような見解をだしているか?(学生証番号の下1桁が4,9)
講評
- 5/14 21:00までに 154名が提出(締め切り後に1名提出)
- 前回も指摘したが,メールで課題を提出する場合は、紙での課題提出と
同様に、名前と学生証番号を明記するのが一般的であるが、明示しなかっ
たためか、大部分の人が名前を書いていなかった。次回からは明示しな
くても、課題メールには名前と学生証番号を入れるように。統計をとっ
たわけではないが,名前の記入とレポートの質には相関関係があるよう
だ.
- 一般的には読みやすさを考えてメールを送る前には以下のような処理をし
た方が良い.
- 段落の切れ目には,空行を入れる.
- 英字70文字(日本字35文字)程度で行を折り返す.emacsでは M-q
([Esc] q)でポイント(カーソル)を含む行の折り返しをおこなってく
れる読みやすさだけではなく,一行が長すぎると(512文字程度),自
動的に行の後ろを切り捨ててしまうメール配送ソフトもあるようだ.
- 英文ページを翻訳したレポートを提出した人がいた.「自分の言葉(コ
ピー アンド ペーストではなく)で100文字以上で説明を書き」の条件には合わ
ないが,翻訳ソフトをしようしたり,公表済みの翻訳を用いたものではないよ
うだったので,評価の対象にはする.
解答例
SARSについて。
SARSとは Severe Acute Respiratory Syndrome
の頭文字をとったものである。日本語での意味は重症急性呼吸器症候群である。
日頃SARSとニュースなどでで聞いているだけでは、その深刻さはわからないが、
元の英語の日本語訳をみるとこの新型肺炎の深刻さが少しは実感できる。
最初の患者が確認されたのは、2002年11月中旬に、中国の広州で
確認された。
ちなみに5月5日現在全世界において、6585名以上の疑わしい患者と
461名の死亡者が報告されている。
英ロンドン大のグループのまとめによると、SARSの致死率は60歳未満だと
13.2%、60歳以上では43.3%にのぼるという。
最後に私が参照したホームページのURLを記しておきます。
厚生労働省 http://www.mhlw.go.jp/
国立感染症研究所・感染症状法センター http://idsc.nih.go.jp/index-j.html
WHO http://www.who.int/csr/sars/en/
東京大学の学生・教職員のみなさまへ http://www.h.u-tokyo.ac.jp/uthealth/hSARSj.thm
以上、情報処理5月7日の課題とする。
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SARSについて
SARSはSevere Acute Respiratory Syndrome(重症急性呼吸器症候群)の略称で
新種のコロナウイルスによって感染し、高熱、痰を伴わない咳、息切れと呼吸
困難などを起こす伝染病である。
最初の患者は厚生省など多くのページではでは平成15年の2/26に上海、香港
経由でベトナムのハノイに入院した患者が最初であるとなっている(上部三つの
URL参照)。だが、朝日新聞などでは平成14年の11月16日に報告された中国広東
省仙山市の40代男性が最初の患者であるとしており、こちらの方が正しい見解
であるようだ(下部三つのURL参照)。
参考URL
WHOの重症急性呼吸器症候群(SARS)のQ&A(仮訳)
http://www.mhlw.go.jp/topics/2003/03/tp0318-1d.html
ハノイ・香港等ににおける原因不明の重症急性呼吸器症候群の集団発生に
伴う対応について
http://www.mhlw.go.jp/topics/2003/03/tp0318-1b5.html
重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome:SARS)につ
いて
http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/hoken/yobo/yobo27.htm
SARS「第1号」は広東省・40代男性か
http://www.asahi.com/special/sars/TKY200304300204.html
最初の患者は40代農協職員 SARS視察医が報告
http://www.kyoto-
np.co.jp/news/flash/2003may/01/CN2003043001000412H1Z10.html
重症急性呼吸器症候群(SARS)に関するQ&A
http://idsc.nih.go.jp/others/urgent/update-QA01a.html#ans5
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この課題を調べるにあたって、以下のホームページを参照した。
厚生労働省ホームページ
http://www.mhlw.go.jp./
感染症情報センターホームページ
http://idsc.nih.go.jp/index-j.html
WHOホームページ
http://www.who.int/csr/sars/en/
SARSの情報源
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7663/
SARSの最初の患者(yahooで検索)
http://www.kyoto-np.co.jp/news/flash/2003may/01/CN2003043001000412H1Z10.html
調べた内容を以下にまとめる。
SARSとはSevere Acute Respiratory Syndromeの略称で、日本語では「重症
急性呼吸器症候群」と呼ばれる。国立国際医療センターによると、発生源は中
国広東省であり、40代の男性農協事務職員が2002年11月に発症したのが最初で
あるとされている。しかし、その感染源は未だわかっていない。ちなみに2例
目は、20代の男性調理師である。
この新型肺炎SARSは動物の体内にいたコロナウィルスが人に感染したため広
がったと考えられている。SARSはアジアを中心に広まっており、5月6日現在、
香港・カナダ・シンガポールでの死亡率は10%を越えている。
中国では感染した医師が治療を行うなど悲惨な状態が続いているようだが、
世界各国では様々な対策も進んでいる。たとえば台湾では、電車に乗る人全員
にマスクの着用を義務づけているし、タイでも入国者への体温検査と問診が実
施されている。そんな中で、日本の対策は甘すぎるという指摘もわき起こって
いる。日本では感染のニュースは未だ聞かないが、空気感染するSARSが隣国で
起こっているのだということを、我々一人一人が自覚し、SARSに関する情報を
知っておく必要がある。
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タマちゃんの川への出現について
タマちゃんは、アゴヒゲアザラシである。その性別については、
2002年10月9日に、雄であることが判明した。アゴヒゲアザラシは、北極圏に
生息し、北海道でさへ、めったに出現しないものである。そのタマちゃんの関
東への出現が、はじめて、映像という形で、確認されたのは、8月7日であるが、
実際は、8月4日頃から多摩川にいたようである。彼は、8月20日頃まで多摩川
にいた後姿を消すが、タマちゃんという名の由来は、多摩川である。その後8
月25日から、30日頃まで鶴見川に姿を見せる。9月12日までは、行方知れずと
なるが、9月12日に帷子川で発見されることとなった。この帷子川は、タマちゃ
んのお気にめしたらしく、短期的に、大岡川や中村川等の、他の河川に移るこ
とは、あったものの3月の中旬までそこ、帷子川で生息することとなる。しか
し、3月上旬、タマちゃんを捕獲しようとした団体があったためか、そののち
生息地を変えた。その生息地が、判明したのが、4月の20日である。それは、
住民表まで交付してもらった横浜ではなく、! 埼玉県の中川であった。その
のち4
関連URL
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/07/1945/hamasui/tama/tama-in.htm
http://www.kanagawa-np.co.jp/tamachan/2002/index.htm
http://www.kanagawa-np.co.jp/tamachan/2003/index.htm
http://www.ktr.mlit.go.jp/arajo/azarashi/index.html
http://www.tokkari.net/news/framepage1.htm
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情報処理 5/7の課題
課題:「アゴヒゲアザラシ『タマちゃん』は現在までにどの川に出現したか」
Yahoo! Japanで検索し、以下のURLを参考にして調べた。
京浜河川事務所 たま川・つるみ川に現れたアゴヒゲアザラシについて
http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/news/h14/tama/azarasi/azarasi_index.htm
神奈川県横浜治水事務所 アザラシに関する記録
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/07/1945/hamasui/tama/tama-in.htm
国土交通省関東地方整備局 江戸川河川事務所 中川に現れたアザラシについて
http://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/seal/main.html
荒川上流河川事務所 荒川に現れたアザラシについて
http://www.ktr.mlit.go.jp/arajo/azarashi/
まとめると,タマちゃん(と思われるアゴヒゲアザラシ)が出現した川は,
多摩川[東京都]
鶴見川[神奈川県]
帷子川[神奈川県]
大岡川[神奈川県]
中村川[神奈川県]
横浜港[神奈川県] (川ではないが,参考のため)
中川[埼玉県]
荒川[埼玉県]
である。このうち,鶴見川に現れたアザラシは多摩川の「タマちゃん」と
同一であるとされているが,他の川に出現したものについては確証がないようだ。
時系列にまとめると以下のようになる。
2002年
8月 7日 多摩川で発見される
8月16日 多摩川で最後に確認される
8月25日 鶴見川で発見される
8月30日 鶴見川で最後に確認される
9月12日 帷子川で発見される
9月15日 大岡川で発見される
9月18日 中村川で発見される
9月19日 横浜港で発見される
9月24日 大岡川,中村川で最後に確認される
2003年
3月11日 帷子川で,「想う会」による捕獲騒動
3月14日 帷子川,横浜港で最後に確認される
3月22日 荒川で目撃される(この日だけ)
4月20日 中川で発見される
4月23日 中川で最後に確認される
4月27日 荒川で再発見される
5月 4日 目のそばに釣り針が刺さっているのが確認される
5月11日 釣り針が取れているのが確認される
タマちゃんと思われるアゴヒゲアザラシは今日(5月14日)も
荒川にいるようである。
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UNIXの開発者として名の知られている人について
UNIXの開発者のひとりとして、Ken Thompsonがあげられる。1960年代後半、
彼が所属するAT&T(American Telephone and Telegraph)ベル研究所(現
Lucent Technologies社ベル研究所)とGE(General Electorics),MIT(マサチュー
セッツ工科大学)が共同でOS,MULTICSの開発を行っていたがそれがあまりにも
巨大なものとなり、経済的なOSとはいえなくなってきたので1969年、AT&T社は
開発から撤退する。Ken Thompsonは、1969年、MULTICS上のゲーム、Space
Travelを開発、それはその後GE社、GE645の標準OSのGECOSのFortranに書き換
えられた。しかし、GE645上でプレイすると1ゲームあたり計算に75$もかかっ
てしまうという問題があったらしい。そこでその問題を解決すべくKen
Thompsonは、研究室の片隅にあった、使用者不在のガラクタ同然のミニコン
PDP-7を持ち出してきて、このゲームが走るようにしたという。このときUNIX
が生まれたのである。
MULTICSの開発に携わったKen Thompsonやベル研究所のDennis M. Ritchieは
MULTICSが提供する便利なユーザーインターフェースを失いたくないと考えて
いたらしい。Ken ThompsonはUNIXを開発する際、MULTICSから多くの機能を削
ぎ落として軽いOSを作成した。Ken ThompsonとDennis M. Ritchieは、BCPLを
発展させてB言語を設計し、それをベースに改良を加えて自分たちのプログラ
ム言語をデザインしていった。Bは主にDennis M. Ritchieによって、NBを経て
C言語へと発展させられていく。もとはアセンブラで書かれていたUNIXのソー
スをC言語で書くことで、世界初の、ハードウェアに依存しない移植性のある
OSが誕生したといえる。このときUNIXはバージョン4となっていた。このC言語
はその後C++へと発展し、C++からJAVAが生まれる。Cはコンピュータ言語
の主流として大きな幹を作っており、そうした意味でDennis M.Ritchieが果た
した役割は非常に大きいといえる。ちなみに、Dennis M.Ritchieはいまだ現役
でベル研究所に所属している。
UNIXという名称は、ベル研究所のBrian W. Kernighanが、Ken Thompsonのシ
ステムを、MULTICS(MULTiplexed Information and Computing System)をも
じってUNICSと呼んだのが元になり、それがすぐに"UNIX"と呼ばれるようになっ
たのが由来である。
参考 ちえの和WEBページ:コンピュータの歴史 UNIX
http://www.chienowa.co.jp/frame1/history/Unix.html
Unixの歴史
http://roguelife.org/~fujita/COOKIES/HISTORY/
UNIX系OSの歴史
http://home.highway.ne.jp/michio/oldmac/oshistory/unix-history.html
法大奥山研究室:UNIX入門:「UNIX」の歴史とその由来
http://okuyama.mt.tama.hosei.ac.jp/unix/section02.html
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NCSA(National Center for Supercomputing Applications)で研究を行って
いた人たちによって開発されたGUIベースのwebブラウザがMosaicである。
それはWWW普及の火付け役とも言われ、初期にはは「Mosaicでアクセスする」
といっていたほど絶対的な支配権を握っていた。
しかし、Mosaicの初期のユーザを悩ませた間題は、Webページがすべて読み込
まれるまで何も表示されないという点だった。画像の多い Webページに低速の
モデムでアクセスすると、何分間もたたないと画面に何も表示されないという
状態だった。
それに対して、osaicの最初の開発者のひとりだったマーク・アンドリーセン
(Marc Andreesen)には、この状況を改善するアイデアがあった。
1994年3月には、彼は他 のMosaic 開発者6人とともに NCSA を去り、Mosaic
Communications Corporation社 を設立した。Netscape Communications社の前
身である。
その年の秋に発表されたNetscapeはすぐれたWebブラウザとして認知され、
Mosaicにとってかわって広く普及することとなった。
現在では、Netscape NavigatorとMicrosoft Internet Explorerという二つWeb
ブラウザが主流であるが(最近はOpera等のフリーブラウザもかなり普及してい
るようだが)、このごろはIEがWindowsOSに標準添付されていたこととWindows
の大衆への爆発的普及によってNNがやや不利に思われる。
ついでにいうと、MarcとNCを吸収合併したAOLの間で数年前に一悶着あったら
しい。
参考URL
ブラウザの歴史 http://www.scollabo.com/banban/tips/browser.html
ASCII24アスキーデジタル用語辞典 http://yougo.ascii24.com/gh/14/001446.html
作成
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5月7日 情報処理レポート
発信元を特定されないようにいくつかのサーバーを仲介させ、不特定多数に向け
てメールを大量に発信されるメールは一般にspamメールと呼ばれている。その語
源はHormel Foods社の缶詰SPAMといわれていて、「あるレストランではすべての
メニューにSPAMの缶詰が入っていた。それについて、ある夫婦がウェイトレスと
口論していると、近くにいた人たちがSPAM〜SPAM〜SPAM〜と歌い出したため、議
論が進められなくなってしまった」という内容のMonty Pythonのコントが決め手
になった、というのが定説になっている。
Hormel Foods社はそれに対して、"spamメール"という呼称を使うことについては
容認するが、自社の商標と区別する目的で、"SPAM"という大文字の表示はやめて
ほしいと言っている。また、公式見解では、名称とは関係なくspamメールの悪質
性については強調していた。
【関連サイト】
Hormel Foods社公式見解 http://www.spam.com/ci/ci_in.htm
日本インターネットプロバイダー協会 http://www.jaipa.or.jp/UCE/circum.html
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