5/7出題の課題の講評


問題

学生証番号に応じて,以下の事項を検索エンジンを使って調べて,関連するペー ジのURL2つ以上と,自分の言葉(コピー アンド ペーストではなく)で100文字以上で説 明を書き,
report0507@tanaka.ecc.u-tokyo.ac.jp
まで メールを出しなさい.教育用計算機システムを使って出すこと,プロバイダ経 由からの提出は認めない.教育用計算機システムを使って出す限り,メールク ライアントは mew 以外のシステムを使っても良い.

講評


解答例

SARSについて。

SARSとは Severe Acute Respiratory Syndrome
の頭文字をとったものである。日本語での意味は重症急性呼吸器症候群である。
日頃SARSとニュースなどでで聞いているだけでは、その深刻さはわからないが、
元の英語の日本語訳をみるとこの新型肺炎の深刻さが少しは実感できる。

最初の患者が確認されたのは、2002年11月中旬に、中国の広州で
確認された。

ちなみに5月5日現在全世界において、6585名以上の疑わしい患者と
461名の死亡者が報告されている。

英ロンドン大のグループのまとめによると、SARSの致死率は60歳未満だと
13.2%、60歳以上では43.3%にのぼるという。







最後に私が参照したホームページのURLを記しておきます。

厚生労働省    http://www.mhlw.go.jp/
国立感染症研究所・感染症状法センター   http://idsc.nih.go.jp/index-j.html
WHO    http://www.who.int/csr/sars/en/
東京大学の学生・教職員のみなさまへ    http://www.h.u-tokyo.ac.jp/uthealth/hSARSj.thm

以上、情報処理5月7日の課題とする。
SARSについて
 SARSはSevere Acute Respiratory Syndrome(重症急性呼吸器症候群)の略称で
新種のコロナウイルスによって感染し、高熱、痰を伴わない咳、息切れと呼吸
困難などを起こす伝染病である。
 最初の患者は厚生省など多くのページではでは平成15年の2/26に上海、香港
経由でベトナムのハノイに入院した患者が最初であるとなっている(上部三つの
URL参照)。だが、朝日新聞などでは平成14年の11月16日に報告された中国広東
省仙山市の40代男性が最初の患者であるとしており、こちらの方が正しい見解
であるようだ(下部三つのURL参照)。

 参考URL
  WHOの重症急性呼吸器症候群(SARS)のQ&A(仮訳)
   http://www.mhlw.go.jp/topics/2003/03/tp0318-1d.html
  ハノイ・香港等ににおける原因不明の重症急性呼吸器症候群の集団発生に
伴う対応について
   http://www.mhlw.go.jp/topics/2003/03/tp0318-1b5.html
  重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome:SARS)につ
いて
   http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/hoken/yobo/yobo27.htm
  SARS「第1号」は広東省・40代男性か 
   http://www.asahi.com/special/sars/TKY200304300204.html
  最初の患者は40代農協職員 SARS視察医が報告 
   http://www.kyoto-
np.co.jp/news/flash/2003may/01/CN2003043001000412H1Z10.html
  重症急性呼吸器症候群(SARS)に関するQ&A 
   http://idsc.nih.go.jp/others/urgent/update-QA01a.html#ans5

この課題を調べるにあたって、以下のホームページを参照した。

厚生労働省ホームページ
http://www.mhlw.go.jp./

感染症情報センターホームページ
http://idsc.nih.go.jp/index-j.html

WHOホームページ
http://www.who.int/csr/sars/en/

SARSの情報源
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7663/

SARSの最初の患者(yahooで検索)
http://www.kyoto-np.co.jp/news/flash/2003may/01/CN2003043001000412H1Z10.html

調べた内容を以下にまとめる。

 SARSとはSevere Acute Respiratory Syndromeの略称で、日本語では「重症
急性呼吸器症候群」と呼ばれる。国立国際医療センターによると、発生源は中
国広東省であり、40代の男性農協事務職員が2002年11月に発症したのが最初で
あるとされている。しかし、その感染源は未だわかっていない。ちなみに2例
目は、20代の男性調理師である。

 この新型肺炎SARSは動物の体内にいたコロナウィルスが人に感染したため広
がったと考えられている。SARSはアジアを中心に広まっており、5月6日現在、
香港・カナダ・シンガポールでの死亡率は10%を越えている。

 中国では感染した医師が治療を行うなど悲惨な状態が続いているようだが、
世界各国では様々な対策も進んでいる。たとえば台湾では、電車に乗る人全員
にマスクの着用を義務づけているし、タイでも入国者への体温検査と問診が実
施されている。そんな中で、日本の対策は甘すぎるという指摘もわき起こって
いる。日本では感染のニュースは未だ聞かないが、空気感染するSARSが隣国で
起こっているのだということを、我々一人一人が自覚し、SARSに関する情報を
知っておく必要がある。

      タマちゃんの川への出現について


           タマちゃんは、アゴヒゲアザラシである。その性別については、 
2002年10月9日に、雄であることが判明した。アゴヒゲアザラシは、北極圏に
生息し、北海道でさへ、めったに出現しないものである。そのタマちゃんの関
東への出現が、はじめて、映像という形で、確認されたのは、8月7日であるが、
実際は、8月4日頃から多摩川にいたようである。彼は、8月20日頃まで多摩川
にいた後姿を消すが、タマちゃんという名の由来は、多摩川である。その後8 
月25日から、30日頃まで鶴見川に姿を見せる。9月12日までは、行方知れずと
なるが、9月12日に帷子川で発見されることとなった。この帷子川は、タマちゃ
んのお気にめしたらしく、短期的に、大岡川や中村川等の、他の河川に移るこ
とは、あったものの3月の中旬までそこ、帷子川で生息することとなる。しか
し、3月上旬、タマちゃんを捕獲しようとした団体があったためか、そののち
生息地を変えた。その生息地が、判明したのが、4月の20日である。それは、
住民表まで交付してもらった横浜ではなく、!  埼玉県の中川であった。その
のち4

関連URL
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/07/1945/hamasui/tama/tama-in.htm
http://www.kanagawa-np.co.jp/tamachan/2002/index.htm
http://www.kanagawa-np.co.jp/tamachan/2003/index.htm
http://www.ktr.mlit.go.jp/arajo/azarashi/index.html
http://www.tokkari.net/news/framepage1.htm
情報処理 5/7の課題


課題:「アゴヒゲアザラシ『タマちゃん』は現在までにどの川に出現したか」


Yahoo! Japanで検索し、以下のURLを参考にして調べた。

京浜河川事務所 たま川・つるみ川に現れたアゴヒゲアザラシについて
http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/news/h14/tama/azarasi/azarasi_index.htm

神奈川県横浜治水事務所 アザラシに関する記録
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/07/1945/hamasui/tama/tama-in.htm

国土交通省関東地方整備局 江戸川河川事務所 中川に現れたアザラシについて
http://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/seal/main.html

荒川上流河川事務所 荒川に現れたアザラシについて
http://www.ktr.mlit.go.jp/arajo/azarashi/


まとめると,タマちゃん(と思われるアゴヒゲアザラシ)が出現した川は,
多摩川[東京都]
鶴見川[神奈川県]
帷子川[神奈川県]
大岡川[神奈川県]
中村川[神奈川県]
横浜港[神奈川県] (川ではないが,参考のため)
中川[埼玉県]
荒川[埼玉県]
である。このうち,鶴見川に現れたアザラシは多摩川の「タマちゃん」と
同一であるとされているが,他の川に出現したものについては確証がないようだ。


時系列にまとめると以下のようになる。

2002年

 8月 7日  多摩川で発見される
 8月16日  多摩川で最後に確認される
 8月25日  鶴見川で発見される
 8月30日  鶴見川で最後に確認される

 9月12日  帷子川で発見される
 9月15日  大岡川で発見される
 9月18日  中村川で発見される
 9月19日  横浜港で発見される
 9月24日  大岡川,中村川で最後に確認される

2003年

 3月11日  帷子川で,「想う会」による捕獲騒動
 3月14日  帷子川,横浜港で最後に確認される

 3月22日  荒川で目撃される(この日だけ)
 4月20日  中川で発見される
 4月23日  中川で最後に確認される
 4月27日  荒川で再発見される
 5月 4日  目のそばに釣り針が刺さっているのが確認される
 5月11日  釣り針が取れているのが確認される

タマちゃんと思われるアゴヒゲアザラシは今日(5月14日)も
荒川にいるようである。

UNIXの開発者として名の知られている人について

 UNIXの開発者のひとりとして、Ken Thompsonがあげられる。1960年代後半、
彼が所属するAT&T(American Telephone and Telegraph)ベル研究所(現
Lucent Technologies社ベル研究所)とGE(General Electorics),MIT(マサチュー
セッツ工科大学)が共同でOS,MULTICSの開発を行っていたがそれがあまりにも
巨大なものとなり、経済的なOSとはいえなくなってきたので1969年、AT&T社は
開発から撤退する。Ken Thompsonは、1969年、MULTICS上のゲーム、Space
Travelを開発、それはその後GE社、GE645の標準OSのGECOSのFortranに書き換
えられた。しかし、GE645上でプレイすると1ゲームあたり計算に75$もかかっ
てしまうという問題があったらしい。そこでその問題を解決すべくKen
Thompsonは、研究室の片隅にあった、使用者不在のガラクタ同然のミニコン
PDP-7を持ち出してきて、このゲームが走るようにしたという。このときUNIX
が生まれたのである。

 MULTICSの開発に携わったKen Thompsonやベル研究所のDennis M. Ritchieは
MULTICSが提供する便利なユーザーインターフェースを失いたくないと考えて
いたらしい。Ken ThompsonはUNIXを開発する際、MULTICSから多くの機能を削
ぎ落として軽いOSを作成した。Ken ThompsonとDennis M. Ritchieは、BCPLを
発展させてB言語を設計し、それをベースに改良を加えて自分たちのプログラ
ム言語をデザインしていった。Bは主にDennis M. Ritchieによって、NBを経て
C言語へと発展させられていく。もとはアセンブラで書かれていたUNIXのソー
スをC言語で書くことで、世界初の、ハードウェアに依存しない移植性のある
OSが誕生したといえる。このときUNIXはバージョン4となっていた。このC言語
はその後C++へと発展し、C++からJAVAが生まれる。Cはコンピュータ言語
の主流として大きな幹を作っており、そうした意味でDennis M.Ritchieが果た
した役割は非常に大きいといえる。ちなみに、Dennis M.Ritchieはいまだ現役
でベル研究所に所属している。

 UNIXという名称は、ベル研究所のBrian W. Kernighanが、Ken Thompsonのシ
ステムを、MULTICS(MULTiplexed Information and Computing System)をも
じってUNICSと呼んだのが元になり、それがすぐに"UNIX"と呼ばれるようになっ
たのが由来である。


参考 ちえの和WEBページ:コンピュータの歴史 UNIX
    http://www.chienowa.co.jp/frame1/history/Unix.html
   Unixの歴史
    http://roguelife.org/~fujita/COOKIES/HISTORY/
   UNIX系OSの歴史
    http://home.highway.ne.jp/michio/oldmac/oshistory/unix-history.html
   法大奥山研究室:UNIX入門:「UNIX」の歴史とその由来
    http://okuyama.mt.tama.hosei.ac.jp/unix/section02.html


NCSA(National Center for Supercomputing Applications)で研究を行って
いた人たちによって開発されたGUIベースのwebブラウザがMosaicである。

それはWWW普及の火付け役とも言われ、初期にはは「Mosaicでアクセスする」
といっていたほど絶対的な支配権を握っていた。

しかし、Mosaicの初期のユーザを悩ませた間題は、Webページがすべて読み込
まれるまで何も表示されないという点だった。画像の多い Webページに低速の
モデムでアクセスすると、何分間もたたないと画面に何も表示されないという
状態だった。

それに対して、osaicの最初の開発者のひとりだったマーク・アンドリーセン
(Marc Andreesen)には、この状況を改善するアイデアがあった。

1994年3月には、彼は他 のMosaic 開発者6人とともに NCSA を去り、Mosaic
Communications Corporation社 を設立した。Netscape Communications社の前
身である。

その年の秋に発表されたNetscapeはすぐれたWebブラウザとして認知され、
Mosaicにとってかわって広く普及することとなった。

現在では、Netscape NavigatorとMicrosoft Internet Explorerという二つWeb
ブラウザが主流であるが(最近はOpera等のフリーブラウザもかなり普及してい
るようだが)、このごろはIEがWindowsOSに標準添付されていたこととWindows
の大衆への爆発的普及によってNNがやや不利に思われる。

ついでにいうと、MarcとNCを吸収合併したAOLの間で数年前に一悶着あったら
しい。


参考URL
ブラウザの歴史 http://www.scollabo.com/banban/tips/browser.html
ASCII24アスキーデジタル用語辞典 http://yougo.ascii24.com/gh/14/001446.html

作成
5月7日 情報処理レポート


発信元を特定されないようにいくつかのサーバーを仲介させ、不特定多数に向け
てメールを大量に発信されるメールは一般にspamメールと呼ばれている。その語
源はHormel Foods社の缶詰SPAMといわれていて、「あるレストランではすべての
メニューにSPAMの缶詰が入っていた。それについて、ある夫婦がウェイトレスと
口論していると、近くにいた人たちがSPAM〜SPAM〜SPAM〜と歌い出したため、議
論が進められなくなってしまった」という内容のMonty Pythonのコントが決め手
になった、というのが定説になっている。
Hormel Foods社はそれに対して、"spamメール"という呼称を使うことについては
容認するが、自社の商標と区別する目的で、"SPAM"という大文字の表示はやめて
ほしいと言っている。また、公式見解では、名称とは関係なくspamメールの悪質
性については強調していた。

【関連サイト】
Hormel Foods社公式見解 http://www.spam.com/ci/ci_in.htm
日本インターネットプロバイダー協会 http://www.jaipa.or.jp/UCE/circum.html