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released on 10 May 2008, by H.FURUIDO
revised on 5 Jul 2008

森林政策学演習(ver2008):ドヴェーズ輪読メモ

  1. 参考文献

      ○歴史学一般

    • 大塚久雄・高橋幸八郎・古島敏雄・松田智雄・安藤良雄(1956)「経済史の話題をめぐって−『共同体』のことなど−<座談会>」『経済評論』7月号、pp.98-117
    • イリン、八住訳(1942)『人間の歴史』慶応書房→(角川文庫)角川書店、369pp.
    • 伊藤栄(1959)『ドイツ村落共同体の研究』弘文堂、368pp.
      • *ヴァイスチューマー(村法・判告録)の本格的研究。このあと伊藤は、林野庁の委託で、林野関係の村法を報告書にまとめている。『ドイツ・スイス及びオーストリアに於ける共同地入会の史的研究』(1960)、『ドイツ共同地用益の解体過程』(1962)など(上級。林野庁報告書の入手はきわめて困難)。
    • E.E.パウア、三好洋子訳(1969)『中世に生きる人々』(UP選書)、東大出版会、290pp.
    • 中野定雄ほか訳(1976)『プリニウスの博物誌』全3巻、雄山閣
    • 大塚久雄(1979)『歴史と現代』(朝日選書)朝日新聞社、200pp.
    • 三好洋子(1981)『イギリス中世村落の研究』東大出版会、340pp.
    • M.クローソン、小沢健二訳(1981)『アメリカの土地制度』農政調査委員会、186pp.
    • 鬼頭宏(1983)『日本二千年の人口史』(二十一世紀図書館)PHP研究所、206pp. *今は講談社学術文庫版の方が入手しやすいとの三木氏情報があり、鬼頭(2000)を追加しました。
    • 鈴江栄一(1989)『開拓使文書を読む』雄山閣、181pp. *近世〜近代文書に関する北海道の特殊事情
    • 網野善彦+阿部謹也(1994)『中世の再発見−市・贈与・宴会−<対談>』平凡社ライブラリー、346pp.
    • 百瀬響(1999)『「開拓使文書」アイヌ関連件名目録』北海道出版企画センター、192pp. *安政年間から文献があることがわかる。ここで見つけても実際には札幌道庁敷地内の「道立文書館」で閲覧することになる。専門家向き。
    • 鬼頭宏(2000)『人口から読む日本の歴史』(学術文庫)講談社、284pp.
    • マルク・ブロック、松村剛訳(2004)『新版 歴史のための弁明−歴史家の仕事−』岩波書店、216pp.
    • 柴田三千雄(2006)『フランス史10講』(岩波新書)岩波書店、229pp.
    • 梅森直之編著(2007)『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』(光文社新書)光文社、227pp. *グローバリゼーションについては良書がたくさんありますが、ここでは省略。

      ○森と人の歴史参考文献(新書・文庫・ポケットブック版)

    • H.D.ソロー、飯田実訳(1995)『森の生活』(岩波文庫)岩波書店、上下2冊
    • 飯沼二郎(1970)『風土と歴史』(岩波新書)岩波書店、214pp.
    • 堀米庸三編(1975,1991)『中世の森の中で<生活の世界歴史6>』(河出文庫)河出書房新社、353pp.
    • 熊崎実(1993)『地球環境と森林』(林業改良普及叢書)全国林業改良普及協会、175pp.
    • 堀越宏一(1997)『中世ヨーロッパの農村世界』(世界史リブレット24)山川出版社、90pp.
    • 川崎寿彦(1997)『森のイングランド−ロビン・フッドからチャタレー夫人まで−』(平凡社ライブラリー)平凡社、422pp.
    • 安田喜憲(1997)『森を守る文明・支配する文明』(PHP新書)PHP研究所、246pp. *花粉分析の専門家による文明論。日本の縄文時代の花粉分析については、鈴木三男・能城修一(1997)「縄文時代の森林植生の復元と木材資源の利用」『第四紀研究』36(5)、pp.329-342
    • 筒井迪夫(2000)『森への憧憬−心に残るドイツの林学者たち 第1集』林野弘済会、113pp.
    • 遠山茂樹(2002)『森と庭園の英国史』(文春文庫)文芸春秋社、206pp.
    • 水本邦彦(2003)『草山の語る近世』(日本史リブレット)山川出版社、99pp.

      ○森と人の歴史参考文献(単行書

    • J.Evelyn*(1664):Sylva→原文は、web上で読める(三木氏よりご教示があり、www.british-trees.com/Oldsite/silv.htm)。つくばの森林総研図書室に行くと、18世紀に出た第2版の現物が閲覧できる(おそらく日本にある最古の林学洋書)。
    • M.ブロック(1959)、河野・飯沼訳『フランス農村史の基本性格』創文社、343pp.
    • 佐々木高明(1970)『熱帯の焼畑』古今書院、412pp.
    • K.ハーゼル、中村三省訳(1979)『林業と環境』日本林業技術協会、356pp.
    • 川崎寿彦(1987)『森と人間−2000年』日本林業技術協会、182pp.〜とくにpp.38-49
    • J.ウェストビー、熊崎実訳(1990)『森と人間の歴史』築地書館、275pp.
    • 日本村落史講座編集委員会編(1991)『日本村落史講座3 景観II 近世・近現代』雄山閣、287pp.
    • J.パーリン、安田ほか訳(1994)『森と文明』晶文社、469pp.
    • 平松紘(1995)『イギリス環境法の基礎研究−コモンズの史的変容とオープン・スペースの展開』敬文堂、466pp.
    • J.ドッズ・J.ムーア、渡辺修治訳(1995)『図説・英国の帆船軍艦』原書房〜「18世紀の木材産業」pp.16-31
    • R.P.ハリスン、金利光訳(1996)『森の記憶』工作舎、374pp.
    • K.ハーゼル、山縣光晶訳(1997)『森が語るドイツの歴史』築地書舘、273pp.
    • C.タットマン、熊崎実訳(1998)『日本人はどのように森をつくってきたのか』築地書舘、200pp.
    • 上田信(1999)『森と緑の中国史−エコロジカル・ヒストリーの試み−』岩波書店、259pp.
    • ヨースト・ヘルマント編著、山縣光晶訳(1999)『森なしでは生きられない−ヨーロッパ・自然美とエコロジーの文化史−』築地書館、227pp.
    • 山田勇編(1999)『講座人間と環境2 森と人のアジア−伝統と開発のはざまに生きる−』昭和堂、284pp. *とくに第4章「共生時代の山利用と山づくり−近世山林書の林業技術−」(加藤衛拡著)は必読。近世から近代への移行期の日本において林業技術がどう変容したか。
    • 平松紘(1999)『イギリス:緑の庶民物語−もうひとつの自然環境保全史−』明石書店、242pp.
    • 水元邦彦(2003)『草山の語る近世』(日本史リブレット)山川出版社、99pp.
    • A.レーマン、識名・大淵訳(2005)『森のフォークロア−ドイツ人の自然観と森林文化ー』法政大学出版局、302pp.
      • 林学関係誌では、比屋根 哲による書評が『林業経済』誌にある。巻号などは、CiNiiかfolisで検索可。現物は3Fの林政部屋などにある。
    • 水野祥子(2006)『イギリス帝国からみる環境史−インド支配と森林保護−』(岩波アカデミック叢書)岩波書店、226pp.
      • 林学関係誌では、谷 祐可子による書評が『林業経済』誌にある。
    • A.リーダー、戸口訳(2007)『ウィーンの森』南窓社、186pp.(*一七世紀以降については、pp.160-167の記述が参考になる)
    • R.ドロール・F.ワルテール、桃木・門脇訳(2007)『環境の歴史−ヨーロッパ、原初から現代まで−』みすず書房、301pp.〜森林についてはとくにpp.232-243 08.7.5追加

      ○全体にわたる参考文献(論文ほか)

    • R.Trifone(1957) Storia del diritto forestale italiano→FAOウェブサイトに英文紹介記事あり(www.fao.org/docrep/x5385e/x5385e0b.htm
    • 影山久人(1973)「フォルスト考──所謂『フォルスト問題』についての素描」『三田学会雑誌』66(1)、pp.59-67 *ドイツ語Forstの語源についての(ドイツ語圏における)論争をレビュー。修論の一部だというから凄い。
    • 高橋理喜男(1979) 「都市林−ヨーロッパの事例を中心に」『新都市』33(4)、pp.8-17 *欧州都市林について、その歴史も含めて解説した数少ない文献のひとつ。
    • 阿部泰隆(1979)「万民自然享受権−北欧・西ドイツにおけるその発展と現状(1)」『法学セミナー』296、pp.112-117→連載論文で、(3)まである(第1回:総論とスウェーデン、第2回:バイエルン、第3回:バイエルン、西独、および結論) *私有林内でも通行ができるというゲルマン的慣習の立法化と判例の解説。平松(1999)の文献リストにおいて、この分野の草分け的論考としてあげられている。
    • 森川 潤(1986)「ドイツ林学の受容過程−農科大学成立の条件について−」『作陽音楽大学・作陽短期大学研究紀要』19(2), pp.7-22 *ドイツ帰りの日本人留学生が日本で林学や林政を形成したのは周知だが、ドイツで何を勉強したかを現地資料によって実証した研究。森川氏は多分野についてドイツ諸学の受容を実証し、著書『ドイツ文化の移植基盤−幕末・明治期ドイツ・ヴィッセンシャフトの研究−』に集大成しているが、残念ながら上記の林学編は著書には収録されていない。
    • 磯貝桂子(1991)「アジールと中世イングランドの聖域について」『成城法学』37, pp.47-107 2008.7.23追加
    • 萩野敏雄(1997)「ドイツ林学派外交官とフランス林学派日本画家−青木周蔵と高島得三(北海)−」『学士会会報』816, pp.69-73 *ドイツ林学とフランス林学の日本にとっての関係の素描。一般向けに書かれていて読みやすい。
    • 栗田啓子(1997) 「フランス・ランド地方の土地改良事業と土木エンジニア−第二帝政期における国土開発との関連において−」『経済と社会(東女大)』25、pp.1-18 *名著『エンジニア・エコノミスト』で知られる著者の、砂丘造林で知られるランド地方に関する論述。公共事業造林をめぐる土木行政と林野行政の関係など。
    • 小阪田嘉昭(1997)「ワインの熟成と樽材」『林経協月報』434、pp.28-34
    • 古井戸宏通(2003)「フランス林業学校略史─日仏交流に向けて─」『山林』1427、pp.35-41 *「林業学校」とあるのは、ドヴェーズ訳本でいう「林業専門学校」のこと。専門学校といっても、フランスの場合はいわゆる「グランド・ゼコール」のひとつ。
    • 瀬原義生(2004)「中世末期・近世初頭のドイツ鉱山業と領邦国家」『立命館文學』585、pp.42-83 *細部は専門家でないと読めそうにないが、分布図が判りやすい。
    • 三浦敦(2004)「フランス林業における照査法−その歴史と社会的含意−」『埼玉大学紀要、教養学部』40(1)、pp.131-143 *照査法に特徴づけられるスイス〜フランス東部にかけての森林経理学を社会科学的に解剖したおそらく唯一の日本語論文
    • 中島俊克(2007)「フランスにおける環境史研究の動向−社会経済史の観点から−」『社会経済史学』73(4)、pp.435-442 *欧州環境史に関する邦文献は、このページで紹介しているもの以外はほとんどなく、フランスについては(意識的に多めに拾っているものの)ごく限られている。しかし、フランス本国では「環境史」についての研究が豊富であることが判る。仏語圏研究にとっての道標的文献(上級)。
    • 古井戸宏通(2007)「フランス林政における『水と森林』の史的展開序説」『水資源・環境研究』20、pp.73-86 *ドヴェーズ邦訳本は「治水森林局」「治水森林総監」など「治水森林」という訳語をあちこちで宛てているが、この言葉にこだわって、時代ごとの意味の変遷を追った。上記三浦(2004)、中島(2007)の存在を知らずに書いたのが悔やまれる。
    • 尾張敏章(2008)「クヴェ照査法林の百年」『山林』1488、pp.27-32  *Swiss Forestry Journal誌に掲載された仏文論文をもとに、スイス、クヴェの照査法試験林の一世紀を紹介したもの。三浦(2004)だけだと具体的な森林管理の方法が判らない。森林経理学者による原則論はいくつかあるが、日本には100年の施業歴をもつ照査法林はなく(北海道有林の置戸試験地が最長か)長期的な施業の推移をみたものはないので、貴重な論考である。

    ポイント:人間社会が林野をどう利用してきたか
    *この輪読の目的は、「森林の遷り変わり」そのものではなく、(階級や利害の異なる)人びとが林野をどう利用してきたかを学ぶことにあります。
    *「林野利用を巡る対立関係には、(時代や国を超えて、ある程度)共通的な法則があるのではないか」と感じ取れるかどうかが第一のポイント。そこから進んで、この法則を「理解する」にはもう一段階、西洋史の勉強が必要になる。
    *西洋の、とくに中世以降何が起こったかを学ぶことによって、「アイヌ民族が暮らしていた北海道で何が起こり、その後の北海道で、人間と森林との関係がどう変わったか」を学ぶうえでの第一歩にしたい。(日本の林野制度・林野利用史についての文献は輪読しません。自習してください(山田編(1999)の加藤衛拡論文や水元(2003)が、とても良い教育的文献です)。
    *ドヴェーズはしばしば「この時代は森林にとっては災難だった」という書き方をしています。ドヴェーズは林学の専門家ではなく歴史学者なのに、「森林」が擬人化されて主語になっている。
    *イリンは「人間は生態系の鎖を断ち切った唯一の生物」(だから人間はすばらしい)と希望的に言っています。逆にみると、どうあがいても人間は存在するだけで生態系を撹乱している、ということ。産業革命以降、その程度が急速に拡大したことが地球環境問題を初め、多くの問題を引き起こしている。
    *だとすれば、人間中心主義anthropocentrismから脱却して「森林の歴史」を書くことは難しく、しかも人と人は林野の利用をめぐってつねに対立してきた(社会関係における矛盾の内包)ので、森林の歴史は人の歴史でもある。この点を浮き彫りにさせながら書いているのがウェストビーの『森と人間の歴史』。森は貧者の外套だった、という表現が、ウェストビーの真骨頂。イギリスやドイツについての参考文献にもこの視点は共通している。
    法制史についてさらに勉強したい人へ
    *Trifone(1957)と阿部の「第3回」の結論部分を読み合わせると、欧州林野制度史におけるローマ法とゲルマン法の関係がみてとれる。
    *阿部は、「ゲルマン法世界にローマ法継受の問題が生じ、それまで慣習として認められていた林内への立入権を明文化する必要が出てきた」旨示唆しており、時期的には、スイス民法(1907)や同時期のスウェーデン法を嚆矢とするという。日本もゲルマン法的社会だったというのが通説だから、日本の官民有区分も基本的にこの流れ、つまりローマ法継受による所有権の明確化として理解できよう。ただし日本では慣習的林野利用権を排除するベクトルが強く働き、「証文が無ければ官有」。入会権が当然のように存在したところでは、過去に入会権をめぐる争いが無いので、証文が残っていない。これを「官」が召し上げた。北海道では、別の意味で証文が無く(少しはあったのかもしれないが)、アイヌの土地はすべて「官」が召し上げた、というのが基本。
    *Trifoneに対するunasylva誌の紹介記事(FAOサイト、英文)をみると、「ローマ法」の本家である筈のイタリアでは、私有権を認めた上で法的に規制するという恰好でやってきたが、慣習的な利用も意外に認められていた、などと書いてあって興味深い。北部(ドイツ語圏に近い)と南部の地域的違いなど、伊語の原著が読みたいところである。日本国内に所蔵があるや否や。
    *ひとくちに「ゲルマン法」といっても、ゲルマン的共同体の諸権利は、領邦(領主)権力によって介入されたり共同体成員同士の利害関係があったりして、係争がおきると裁判集会などが開かれ、その記録が「村法」「判告録」(Weistuemer)の形で残される。ドイツ語圏に残された膨大なWeistuemerを分析したのが、「歴史学一般」で挙げた「伊藤(1959)」。今日ではさらに実証研究が蓄積されている。日本語で読める論文も数多い。


    以下、ドヴェーズ本文への註記

     5/21は力の入った報告が多かったので、後でコメントを追加します…とりあえず終わりました。

  2. 序文・序論
  3. 1章
    • p.7「自然と人間の闘争」→イリンを参照。
    • pp.8-9 ヒルフの植生図で日本の「常緑広葉樹林」にあたる場所が「亜熱帯・熱帯林」に区分されているとの指摘があった。照葉樹林文化が(少なくとも当時のドイツ学界で)理解されていなかったということか。
    • p.11 世界の森林の現状→永田先生の講義資料。森林の定義変更により見た目の面積があまり変わっていないという報告者の指摘は重要。
    • p.12 「ヨーロッパをみれば、他の諸大陸の状況の要約も可能」というスタンスを疑問に思う人は、水野祥子(2006)を参照のこと。欧州林学を学んだ森林官が熱帯植民地に派遣され、そこでの適用困難性を知ったことから、IUFROなどの国際的林学界に新たな理論が生まれる過程を描いた重厚な研究である。
  4. 2章
    • 花粉分析については安田の諸著作が知られる。
    • 氷河期による植生の単純さは、今日、育林費用の低減につながっている。すなわち、天然更新が容易で下草刈の費用が日本のように高くない。北海道は、気候風土が欧州と似ているが、この点が違い、ササが生えてくる。
    • p.16 泥炭地は日本では北海道以外にはあまりみられないが、欧州には多い。今日、その多くが自然保護目的のゾーニングの網にかかっている。
    • p.17 トウヒは欧州アルプス一帯では郷土樹種。その後これを北ドイツにまで植林したことに問題があったといわれる。
    • p.18 中石器時代に「集落」の出現。
  5. 3章
    • p.20 「『生まれたての農業は、そもそものはじめから復旧した森林に立ち向かうという不幸な偶然の一致』を経験」→報告者も触れていたが重要。一般に欧州農業は森林伐採により、アジア・モンスーン地帯では水利投資により、開墾が進んだといわれる(「アジア的生産様式」論という)。明治の北海道「開拓」はこの意味で欧州型であったといえるのではないか。アイヌが決して行わなかった森林への「火入れ」(津村(1953:17))を開墾のために行ったのは和人である。
    • p.21 焼き畑については多くの文献がある。とりあえず佐々木高明。日本の明治期については服部稀信『林業経済研究』が良い(上級)。
    • p.23 プリニウス『博物誌』は水と森林の関係についても記述している。古井戸(2007)が引用。
    • p.23 「ローマ法には、森林所有権と森林犯罪に関する多くの条文」(翻訳)→「ローマ法には、所有権(一般)と森林犯罪に関する多くの条文」 *非常に細かいところだが原文をみると、「森林」は所有権にかかっていない。「犯罪」の原語は"delits"。なお、ソローの『森の生活』には、「ローマの奉行」が森林所有権に科した制限について触れた一節がある。
    • p.23 トリフォーネ→Unasylva
    • p.23 「宗教的任務」が「最初の公権力の介入を誘発した」:重要な見解。具体的にはドヴェーズが、カトーの『農業論』に言及し、「聖なる森林を開墾するのは神聖をけがす行為だったこと、その森林が奉納されている神のこころをしずめるために、祈りをとなえ、いけにえを捧げなければならなかったこと」が書かれているとする。そこで仏訳を瞥見する。この本は「土地の取得」から始まっており、明らかに、私的な農林業経営のためのマニュアルである。木材については、樹種別の伐採の時期などの技術的記載があるが、第139章「森の枝払いの方法」には枝払の際に、豚を生け贄として捧げ、長い祈りの言葉を唱えるべしとあり、たしかに私的経営マニュアルとしては宗教色が強い。つづく第140章をみると、「(神聖な森林の)開墾を欲する者は、同等の贖罪的犠牲を労働によって支払わねばならない。労働は、祝祭日などを除き、毎日少しずつ行わねばならない」とある。今日、スイスの森林法は「森林面積はこれを減じてはならない」とし、「転用する者は、別の場所に同面積の造林を行わねばならない」という規定があるし、フランスでは保安林について同様の規定が以前からあり、2001年の森林基本法においてこれが全森林に拡大された。現代スイス法とのちがいは、1)私有権への規制が宗教的意味を帯びており公私の境目が曖昧である(宗教的な意味での[自主]規制が公権力による規制の濫觴であった)こと、2)補償方法が、同等の森林ではなく同等の労働で足りる(したがって、結果的に開墾が進むことを妨げない)こと、の2点であろう。
    • p.24 「人民の森林と皇帝の森林は、SaltuariiまたはSilvarum custodes[ともに森林看守の意]によって管理された」:現代でも、現場の森林官の職名にcustodi forestaliという名称がある(トレント自治州)。
    • p.27 ドルイド僧と森林崇拝については、川崎(1987)に図解がある。
    • 船舶用材について
      • カエサルはモルビアンの…建造した船に感服したが、それは重くて丈夫なナラの素材を使い、賢明にも鉄釘を組立に利用して作ったものであった」(p.28)
      • 「(古代ローマで)森林の伐採が大規模になりはじめたのはポエニ戦役…の頃からで、主として船舶建造のためであった」(p.24)
      *古代ローマの木造船は、どういう作りをしていたのだろうか?
    • p.31 「長城が平地針葉樹林帯の拡張限界に…沿っていた」「広葉樹からは家畜とくに豚の飼料(どんぐり、ブナの実など)がとれるので、針葉樹にくらべて明らかに有利だった」
    • p.32 「森林は、ゲルマン人にとって、北方の耕作地を守るのにも、スラブ人や黄色人種の来襲をふせぐのにも役だった」
      • 報告者が指摘していたように、ここで指摘されているのは「使う」ための森林というよりも、森林の存在そのものに意味があったという側面。
      • 当時のみならず、後々まで。トルコ軍による「ウィーン攻囲」(17世紀後半)が、三十年戦争による森林荒廃の後であったことは偶然ではなかろう。
      • 31頁の記述は、「長城」のゲルマン側は放っておくと針葉樹林になってしまう(のでゲルマン民族はそうならないようにしていた)が、ローマ帝国側は(開墾さえしなければ)広葉樹林のまま変わらない、という意味にとれる。
      • F.エンゲルス遺稿「ドイツ人の古代史によせて」(『マルクス・エンゲルス全集』大月書店版、第19巻、1968年所収、p.439)は、「カエサルは、ドイツ人が敵、つまりどの異民族にたいしても、広い無人の森林によってへだてて、みずからの安全をはかった習慣について、くりかえし述べている。これと同じ習慣は中世後期までも広くおこなわれた」とし、地名に関する傍証などについてもドヴェーズとほぼ同様の指摘をした後(つまりドヴェーズの方がエンゲルスに沿って書いている)、「カエサル時代のドイツ人の文化段階においては、疑いの余地がない。彼らは、今日のアジアの騎馬民族のような意味での遊牧民とはおよそかけはなれていた。遊牧民はステップで生活するが、ドイツ人は原始林に住んでいた。だが、彼らは定着農耕民族の段階からも遠かった」と総括している。
      • 鬼頭(1983)によると、縄文時代の日本は、東北側が「サケ・ナッツ文化」、西南側が「ナッツ文化」で、ナッツは重要な食糧源だった。サケが取れる分、東北地域の食生活の方が豊かで、稲作の開始が遅れたのも「その必要がなかった」からだという。当時の植生については鈴木・能城(1997)を参照。
    • p.33 「原注」に、ドイツ語の「原生林」がUrwaldとある。接頭辞Ur-は、起源を意味する。基本的に、今日欧州に原生林はほとんどない、というのが通説。
  6. 4章
    • 「中世における開墾」については、堀越(1997)など。
    • p.36 「2 荘園の森林保有と共有林」の原語は、Reserves forestieres seigneuriales et forets communes。"Reserves"は、「保有」という言葉よりももっと排他的なイメージで、貴族・領主が農村の人びとを完全に排除している場所。
    • 「マンス」などの専門用語については、堀越(1997)、M.ブロック(1959)など。
    • p.37 狩猟場(パルク):英語のparkも、13世紀の言葉で、領主や国王のレジャー(狩猟)のための場所だった。
    • 平場集落、辺地集落、山岳地帯集落の違いに留意。
    • 1アルパンは約0.5ha
    • p.41 「2 新しい森林保護の動き」→原文では「2 最初の森林保護の動き」。なぜ「新しい」と訳したのか不明。
    • p.43 平の森林看守=simples sergents、看守長=maitres sergents、監視役人=verdiers、城代=chatelains、林務官=les forestiers、「治水林務上級査察役人」=les maitres et enqueteurs des eaux et forets
    • p.43 「雑木林といっても、特許状が認めている樹種は、ヤナギ、サンザシ、ニワトコ、ハンノキ、エニシダ、ネズミサシ類、キイチゴ類だけだった」 *ナッツ類がたしかに除かれている。この時代(17世紀のSylvaも同様)、果樹木、庭園木、森林樹木がまとめて論じられていることに注意。林学と造園学はいつ分かれたのだろうか?
    • p.43 「1319年2月25日の勅令のなかで、はじめて王室治水森林局の名が現れる」:古井戸(2007)を参照のこと。
    • p.44-45 「高林は上位の貴族だけに属する」 *重要
    • p.45 「プロヴァンス地方のコルマール、ランブリス、プラス、プレジエなど」:誤訳。「コルマール、ランブリス、プラス、プレジエ・アン・プロヴァンスなど」
    • p.45 「いわゆる『コミューン』林(市町村有林)」「この種の『共用地』」:括弧内の「市町村有林」は、19世紀以降なら正しいが、この時期には近代的な市町村は存在しないから誤り。「共用地」(les "communaux")は、歴史学の方では「共有地」「共同地」などと訳される。
      補注:英語のcommonsとの関係
      「最近では、英語のcommonsをあえて日本語に置き換えずに、むしろ『コモンズ』とする傾向が強い」
      「18世紀以降のイギリス研究では、『共同(耕)地 common land/field』と『開放耕地open field』とを区別するかたわら、主として共同放牧権である共有権に服する土地を『共有地』とする理解」が提起されているものの「16〜17世紀には、農民の共同所有はあり得ないので、原語にしたがって共同耕地、開放耕地と使い分けるほうがよい」(高橋基泰(2007)、日本村落研究学会編『むらの資源を研究する』所収、pp.94-95)
      *上記の解説にあるように、同じ言葉でも時代によって意味が違うので注意が必要。なお、この解説をみる限り、林内放牧権と林外放牧権のイギリス史における区別が不明。フランスでは林内放牧権と林外(牧草地)放牧権は法律用語上、区別される。
    • p.45 「王国の東部」(l'Est du royaume):現代であれば、ロレーヌ、アルザス、フランシュ=コンテ州あたりを指してエストEstというが、当時のフランス王国の版図はかなり小さかったので、この表現でどのあたりを指すのか不明。
    • pp.46-48 遠山、川崎などイギリス関係の文献を参照。マグナカルタが森林をめぐる王権の濫用を制限するものであった点は重要。
    • p.49 「1524年の有名な農民一揆」=いわゆる「ドイツ農民戦争」のこと。16世紀になぜ領邦権力と共同体が対立したかは、ハーゼル、瀬川などドイツ関係の文献を参照。
    • p.50 ウェストビーを参照。
  7. 5章
    • 全般的に古井戸(2007)を参照。とくにコルベール改革の意味について。
    • pp.54-55 「管流」「筏流」のちがい。
    • p.60 報告者の指摘:「イギリスはフランスよりも豊かな森林国」(国土の1/3)だったとあるが「南部は被覆率15%まで低下」「当時大陸の西ヨーロッパは90%」(パーリン)
    • さらに報告者の指摘:Forestは王の狩猟用地で、ノルマンの征服後もこの制度は強化されたとドヴェーズは書いているが、ウェストビーは、ノルマンの征服以前には「野生動物はもともとだれの所有物でもな」かったのに、森林法の起源の古さと正当性を強調するために中世に偽造された文書によって「クヌート王の時代に…前例があった」とされていた。「今日では間違いだとされている」 *史料や文書を「読む」ためには、文字を読む技術だけでなく、文書の時代背景や性格を理解し信憑性についてのたしかな目を持つことが重要。この点は歴史調査に限らない。言うは易しく行うは難し、の世界。
    • pp.68- ドイツ林学輸入以前のフランス林学。フランス林学の特徴については、三浦(2004)。
    • p.70 ランド地方における土木エンジニアの果たした役割については、栗田(1997)。
    • p.72 EvelynのSylvaについて、コメンテーターが各種文献による位置づけを比較したのは面白かった。
    • p.73 ヤギはなぜ嫌われるか。それでもなぜ放牧するか。
    • p.77 「Jagd und Forstrecht」:今日に至るまで、ドイツで森林科学科に当たる学科は「森林・狩猟学科」と呼ばれる場合がある。日本でも昔は(正確には調べていないが)「狩猟学」が林学科の科目にあった。
    • p.78 「チロル地方では、15世紀中、すでに林務総監が出現」:この時代のチロル林野令については若曽根健治の業績がある(『熊本法学』誌。熊本大学法学部のレポジトリで入手可能)。
    • p.79 ライン川→オランダの造船所、とドヴェーズは書いている。フランスでは、ローヌ河上流の木材がマルセイユの造船所に流送された。古井戸(2007)に出てくる「ショーの森」がこの例である。
    • 報告者の指摘:針葉樹林と養蜂の密接な関係(ドイツ) *針葉樹は隠花植物だが、なぜ養蜂に向いているのだろうか。
  8. 6章
    • 報告者+コメンテータより:「所有者別森林面積」の謎。1791年国有林+1796年市町村有林+1796年私有林+1796年亡命貴族の森林と、「森林の総計面積」が合わない。 *可能性としては、前者の足し算は、当時の地籍簿(課税用土地台帳)ベースの数字で、後者の総計は英国人農業経済学者A.ヤングの推計(カッシーニの地図から推計)。もう少し調べてみますが、確実にいえるのは、所有別の数字は地籍簿をなんらかの形で参照しない限り出ないので地籍簿の精度に推計精度が左右されるが、国の合計値は地図(今日なら航空写真や衛星写真)さえあればわかるということ。地籍簿の数字は、課税に対する忌避感から過小になる傾向がある(日本では「縄延び」という)。フランスの国境じたいが18世紀以降かなり動いている点にも注意が必要。"Indicators"のCinottiの推計は、今日の国土面積に合わせて長期系列を推計したもの。
    • コメンテータより:世論と林務官の関係は、白石先生に教わった20世紀後半日本の森林経理学論争を想起。 *重要な指摘。なお、19世紀フランス林野公共事業と公論形成については、古井戸(2007)で参考文献を挙げて触れている。また「文章の書き方」の回に配付した資料「社系入門」〜「近代化のひとつとしての鉄道交通の評価」(古井戸、『鉄道林』報告書)の項に、産業革命と(公共事業・社会資本としての)鉄道網の形成との関係が触れられているので併せて参照のこと。
    • さらにコメンテータより:「農民が看守を襲った」という書き方の立ち位置、目線。ウェストビーは監守人も野蛮で農山村民の恨みを買い殺害され、捜査当局に対して村人は誰も協力せず犯人は捕まらなかったと書いており、ドヴェーズは「上から」見ているという印象。 *重要な指摘。19世紀における森林監守人の性格変化については、フランス林政学者G.Buttoud教授による仏語論文に詳しい(上級)。論点としては、誰が人選し、どんな技術や法律を根拠としてどんな行為を取り締まっていたか、誰が給料を払っていたか、等々。国が上から監督するにしても、現場に詳しい地元の人を雇わざるを得ず、しかし地元の人だと同じ地元の人間の「犯罪」に対して甘くなるので、給料などの待遇が改善されていく。19世紀末に、日本もこの監守人制度を取り入れ、国有林での取締などを行う。日本では、「犯人」を捕まえるとボーナスが出たようである(坂本達彦の実証研究あり。上級)。山縣光晶・古井戸(2007-2008)「オーストリア・チロル州森林法 全訳」『林業経済』60(9)および60(10)も参照。
    • p.84 「ジョルジュ・ユッフェル」→「ギュスターヴ・ユッフェル」の誤りと思われる(原著の誤記をそのまま邦訳) *19世紀以降のフランス森林面積の推移については、その後多くの仏語論文が出ている。
    • p.86 「森林管理庁」Conservation Generale
    • p.88 「林区(トリアージ)」<森林保護上兼施業上の単位>:triage。もともとは、カントンヌマンcantonnementとともに、フランスの旧共同地の制度的分割に関連した言葉であって、施業単位ではない。革命前に共同地の一部(トリアージの場合は3分の1)を領主が召し上げ、その残りを共同体の所有地と決めていた。ドヴェーズがここで述べているように、これらの一部は、革命期に共同体によって取り戻される。しかし、それがここでいうような個人所有に分割されてしまった(原注(p.89)にあるように、法令上は、1792年に林野については禁止されたが実効なし)ところを除けば、最終的には、1827年の森林法典の定めるところの「国有林」または「市町村有林」の一部となっていく。そして国有林も市町村有林も「国家森林管理体制regime forestier」のもとに置かれ、国(林野行政=1960年代以降は林業公社ONF)が監督することになった(p.101)ため、現代では、林業公社にとって「森林保護上施業上の単位」としての「林区」として、かつてのトリアージやカントンヌマンが扱われているようである。共同地分割については歴史学者の研究が多く、日本語で読める文献も多い(M.ブロックなど)が、その後、同じ言葉が施業単位の意味に転用され使われ続けた経緯について触れた邦文献はおそらくまだ出ていない。
    • 共和暦:革命暦ともいう。月日までわからないと、西暦には換算できない。
    • ド・ラ・ベルジュリ:国内に所蔵は無さそうである。
    • p.90 「私有林の地租」:詳細は不明だが、大蔵省(ナポレオン)による本格的な全国地籍調査が始まったのは、1807年9月15日の予算法律によるといわれる。
    • p.91 「自然国境の喪失」:ウィーン会議(1814-15)の結果、ザール地方がプロシャ領になったことを指す。
    • p.94 「フンデシャーゲン」:普通はフンデスハーゲンと表記する。このあたりに出てくるドイツの林学者については、筒井迪夫『森への憧憬』などを参照。筒井の同書は『林野時報』に連載されていたので、folisでも検索できる。
  9. 7章
    • p.96 ステールは薪炭材を積み上げたときの1m×1m×1m(材積と区別して「層積」という)。空隙があるので、製材品の材積1m3より3割かそこら小さくなる。日本でも「棚」という同様の単位があった(1棚は長さ2尺の木材を幅10尺高さ5尺に積み上げた場合の層積(100立方尺)をいう)。
    • p.97 「樹脂」「皮なめし用」「坑木」「パルプ原料」…:いずれも北海道「開拓」期に通ずる。小関隆祺などを参照。
    • p.97 「科学の進歩によって、土壌の維持のために、とくに山岳地帯にあっては、気候と河川の調節のために、いかに森林が重大な役目を果たしているかということが明らかにされた」 *なにげなく通り過ぎそうな記述だが、近代森林水文学にとって最初の試験地の設定が20世紀初頭のスイス・エーメンタールであったことを考えると、疑問。日本では野口陽一の「森林影響論」に関する一連の研究があり、フランス人Andreassianの英文論文もある(前者は『水利科学』誌、後者は水文学の英文誌)。
    • p.98 「人工牧草地の創設」 *重要
    • p.98 「重商主義の精神と投機心」:原文 l'esprit mercantile et de speculation を素直にとると「重商主義的であってしかも投機的な精神」の意。訳文のような意味ならespritは複数形になるはず。
    • p.98 Ausbeutung(独)=l'exploitation(仏):どちらも、森林を目的語にとれば「濫伐(=収奪的開発)」、人間を目的語にとれば「収奪」「搾取」の意。
    • p.98 同面積あたりの「素材生産高」:原文は単に production。この仏語は、林分や立木の「成長量」を意味することも多く、フランス林学関係文献を読む場合に悩ましいところ。素材生産に限定した表現としてはrecolte(英語のharvestに当たる)という場合が多い。
    • p.100 「1827年森林法」:最初の近代的森林法という評価が通説的にある(萩野など)が、何をもって「近代的」、「最初」とするかは難しい。
    • p.102 ブレモンチエ、シャンブルラン:栗田を参照。
    • pp.102-104 *1940年代から洪水が頻発しているのに、なぜ本格的「山地復旧造林」は1960年代をまたねばならなかったか。また、その後山地住民とフォレスターの間にはどのような利害関係が発生したか?
    • p.106 「自然を模倣し、自然の作業を促進する」 *有名な言葉。農林業の本質である。人間は本質的に生態系を破壊してのみ存在しうるが、その中で農林業は、生態系の一部の、人間にとって有益な部分の作用を助長するmodestな営為。
    • pp.109-110 「保安林(Schutzwaldungen)」 *ドイツ語圏、とくに山岳地帯に特有の概念。公権力の濫用を防止するため、指定目的の列挙による「定義」をしている法律が多い。その後、林政学者エンドレスが著書Forstpolitikの中で帰納的な定義を確立。制度としては、山岳国オーストリアやスイスで発達をみる。同じ山岳国である日本も、旧藩時代にあった同様の制度に加え、西欧諸国の制度を参照・輸入し、最終的に1897年の最初の森林法に取り入れられることになるが、運用上さまざまな障害に直面したため、1930年の林学会で大論争がたたかわされることになる。スイス林政については志賀和人が専門家(folisやCiNiiで検索のこと)。スイスの保安林については、山縣光晶・古井戸宏通(2007)「スイス『保安林重点報告』」『水利科学』51(1)、pp.97-117を参照。
    • p.111-112 イタリア・スペインなどについては林政分野の邦文献がほとんどないので、本書の記述は貴重。東欧については大田伊久雄の研究が近年になって出てきた。
  10. 8章
    • 20世紀の木材需要のキーワードは、軍需(+[報告者の指摘のとおり]復興需要)、鉱工業用材、世界恐慌、公共事業、景気動向、オイルショック、所得水準、紙パルプ用材、パネル・ボード類の開発、貿易取引の進展など。需要に対する政策の関わりが、19世紀以前に比べ著増していることがポイント。
    • 報告者より:20世紀前半〜1960年までの欧州木材需要の中で、最も顕著な伸びを示したのが包装・新聞用材。 *パルプ用材は最初、針葉樹材を利用していたが、その後広葉樹材の利用技術が開発される。1960年代前後からの日本の「拡大造林」は、(スギ・ヒノキなどの針葉樹を植えた側面がしばしば強調されるが)旧薪炭林を伐採することによるパルプ用材供給の過程でもあった(岡村明達(1957)「紙パルプ産業と原木問題」『政経月誌』42、pp.  参照。上級)。
    • 20世紀後半については柳幸論文。
    • p.129 (フランスの)「私有林」:数字の出典が明らかでないが、この時点では概数にすぎない。私有林全体を対象とする最初の調査は、1976〜1983年にかけて実施された林業経済構造調査であり、これによって初めてフランス私有林の全貌が明らかになった。この調査結果では面積1千万ha、所有者数370万人である。ドヴェーズの数字に比べ、所有者が倍以上に増えているのは、推計方法にもよるが、実際に民法の分割相続制により増加していることにもよる。面積が増えている一因は、農廃地において、周辺の森林からの天然下種による林地拡大が自然に起こったことである。
    • p.137 「国民林業基金」:「国民National」は、「国家」「全国」などと訳すこともできるので訳語の選択にあたっては内容を吟味する必要。沼田善夫は「国家森林基金」と訳している。川下からお金をとって川上に回す仕組みなので、国民が負担しているわけではないが、国家の権威づけによって作られた基金。 *基金設立当初は、私有林および市町村有林における針葉樹造林を推進した(p.130参照)。コメンテータの指摘で、フランス人は広葉樹を好む、とあった。「基金」の事業内容も、1960年代は針広造林面積比率が6対1ぐらいだったが、1992年には針葉樹造林面積が大幅に落ち込み、広葉樹とほぼ同水準となる。
    • p.138 「地方森林所有者センター」:略称CRPF。CRPFの資金源は、ドヴェーズが書いているように、国と農業会議所であり、農業会議所の資金源は農村部の固定資産税である「非建築地税」の一部である。
    • 「森林台帳索引」un fichier cadastral forestier:日本の森林簿のようなものを構想したものか。詳細不明。
    • 「森林相続税を75%引き下げ」:1930年のセロ法(租税一般法703条)と1959年の修正モニション法(租税一般法793条)を指す。森林を良好に管理するという前提と引き替えに、林地において、地租の30年間減免、および相続税の軽減を実施した。沼田善夫(1987)「フランスにおける森林計画制度について」『森林計画研究会会報』311、pp.10-15および沼田善夫(1988)「フランスの森林・林業助成施策」『新潟大学農学部演習林研究報告』21、pp.67-74を参照。
    • 「林業投資会社」:ソシエテ・フォレスチエール(仏語サイト)として実現している。
    • 輸出国としての北欧・中欧(報告者より):国内鉱工業部門にとっても、木材産業が重要なため、潜在的輸出能力が、ドヴェーズの本が書かれた1960年頃まではむしろ国内に向かっていたとの指摘。 *今日、輸出国オーストリアの木材産業が、国内需要ともしっかり結びついている点は、山本伸幸(2007)[文献・資料の調べ方〜産業連関関係]を参照のこと。
    • 復興需要の評価(報告者より):ドヴェーズは常に高い評価。ウェストビーは1950〜60年代の木材・木製品の生産・消費の急増について「単に戦後の再建の必要性から出たのではなく、経済成長を早め、社会福祉を拡大し、高水準の雇用を確保すべく、工業国の政府が意識的に干渉したため」としており、報告者は、この違いを書かれた時代によるとらえ方の差とみる。 *復興需要は重要だが一時的。林道・港湾などのインフラ整備への公共投資がが税収になって返ってくるケインズ政策全盛期は60年代まで続いた。なお、公共投資が税収につながる度合いは「乗数(効果)」、所得水準の上昇が消費の上昇につながる関係は、「需要の所得弾性値」という指数でみることができる。後者については柳幸論文。
  11. 9章
    • 全体的に、熊崎実(1993)が参考になる。最近の動きは、立花敏の『山林』連載記事を参照。
    • 中国については上田(1999)など。最近の退耕還林やロシア貿易については多くの研究がある。
    • 外国人による日本についての記述は、タットマン(1998)がよい。 *日本についてのドヴェーズの記述を報告者が整理。「3世紀」の法令については「日本書紀」が出典であり、実際には2〜300年後のことであろうと指摘していたが、定説のようである(出典を確認したものの、目下失念中)。
    • pp.145-146:水野祥子を参照。水野やウェストビーは、「デーラ・ズン」を「デーラ・ドゥーン」と表記している。 *報告者は、ウェストビーやガーンディーを引いて、インドにおける植民地林学について詳述。「下級警備員」は地元民を訓練して雇用、という指摘は興味深い。鉄道に対するガーンディーの否定的評価なども。ブランディス(ブランダイス)は、英帝国植民地林学のキーパーソンであり、水野でも言及されている。神戸大の新聞記事データベースを調べると、『台湾新聞』の1918年7月24日付に「(インドの)今日の林政は其一人たりレサー、デトリッチ、ブランデスに負う所多し」という記述がある(上級。レサーの「レ」はスキャンミスだろう)。
    • p.146 「エーベルスヴァルデ林業専門学校」:第二次大戦後、東独領となり、その後も西側の林学専門家と情報交換を続けたため、東独政府の逆鱗に触れ廃校。松野については訳注のほか、手束平三郎(1987)『森のきた道 : 明治から昭和へ・日本林政史のドラマ』日本林業技術協会、347pp.を参照。
    • pp.147-148 同じ欧州林学の影響を受けた国でありながら、林学、林業、林政において、日本と対照的な展開をたどったのがアメリカ合州国。初代森林局長のG.ピンショーは、ドイツやフランスに留学していた。アメリカ林業・林政の展開は興味深く、林政分野でも多くの研究がある。取り急ぎ、基本的文献として、クローソン(1981)。 *報告者は、ウェストビーを引いて「1900年になってはじめてエール大学に林学科が設置された」ことを指摘。ここにもピンショーが係わっていた(はず)。
    • 「森林の喪失」の原因(コメンテータ):ドヴェーズは「人口過剰→過放牧」、ウェストビーは「貧農を作る政治システム(人口を扶養するだけの土地はあるのに分配されていない)」 *ドヴェーズは表層の一部を現象的にみていて、ウェストビーは深層をみている、といえるだろう。
    • さらにコメンテータより:現代中国をみると、人口は13億(世界の21%)、面積は960万km2(世界の7.2%)なので、1人当たりの土地面積は世界平均の1/3、さらに沙漠(未利用地)が国土の27%。 *中国については、国全体でみるだけでは語れないだろうが、このようにマクロの数字から気づくことも多い。
  12. 結論
    • 「一部にみられる文明のおくれ」:「横倒しにされた世界史」(大塚久雄)、つまり発展段階の異なる社会が共存するのが世界史の常。ドヴェーズは「一部」といってしまっているが、この「一部」が途上国や先住民族問題を考える上で、いま重要(含・遺伝子資源や薬用植物の伝統的ノウハウに関する特許権vsオープンアクセスの問題)。国際機関では、Non Timber Forest Products(非木材林産物、NTFP)問題として議論されている。 *6〜7章のコメンテータよりこの記述への同旨の指摘があった。
    • 「貴重な資源」:原文に忠実に訳すと「貴重な資本capital」。「資源」のなかには石油のように枯渇するものもあるが、資本という場合は、利益をもたらしながら維持することが可能、という意味が込められる。現代における、バイオマス利用の重要性を想起すること。
  13. 訳者あとがき
    • p.157 「日本の森林の歴史に関する基本的な本」のうち、島田と山本は該博すぎ、日本林制史資料と林業発達史は専門的すぎる。どれも重要な文献だがこの4冊の選択には首を捻る。
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連絡担当:古井戸(furu@fr.a.u-tokyo.ac.jp:"@"は半角に変えてください)
(C)H.Furuido
本ページは、東京大学大学院農学生命科学研究科における講義用資料です。お気づきの点がありましたら上記メールアドレスまでご一報下されば幸いです。オープンコンテンツはリンクフリーですが、内容の無断転載はご遠慮下さい。また、著作権は留保しておりますので、とくに営利目的の転載は固くお断りします。